40周年記念冊子より~みんなの思い出
合唱団創立40周年を記念して作られた冊子より、一部抜粋しました。
※一部コメントを省略、お名前をイニシャルに変えさせていただいています。
北村由子先生・コメント
大濱先生、奥様、40周年おめでとうございます。
20才の頃から合唱団にお世話になり、はじめの頃はただピアノを弾くだけで精いっぱいでしたが、7年の歳月が過ぎ、合宿や演奏会などいろいろな経験を通じて合唱指導の楽しさ、難しさ、音楽をつくりあげていく喜びなどが分かるようになりました。
ところで、大濱先生と私は「お気に入り」の歌がよく似ているなぁと、日頃から感じています。先生のお気に入りの「さんぽ」「ひとりぼっちの羊飼い」は、私も特に気に入っている曲です。練習の終わり頃、私が疲れていると、先生が「『ひとりぼっち』やるかね」とおっしゃるので、まさにこれが以心伝心というものだととても嬉しくなり、元気が湧いてきます。(※コメントは一部省略)
J.Iさん・コメント
40周年演奏会おめでとうございます。私が当合唱団に在籍したのは、今から28年前の小学校5年~中学2年と、高校1年~2年までの6年間でした。合唱団での楽しい経験がきっかけで舞台に立つことが好きになり、その後ミュージカル集団に所属することになりました。そこでの経験が振付指導者として、またまたおつきあいをさせていただくことになったのが、ちょうど15年ほど前です。
はじめは体を動かしながら歌うことに慣れていない子どもたちが、練習を重ねるごとにやろうとしていることが子ども達に伝わり、ちょっとした素振りで「先生、今度はあの振付ね」といってすぐに動いてくれるようになりました。
大声をあげながら稽古場を走り回ったのがついこの前のように思われます。合唱団の皆様の益々のご活躍をお祈りいたします。
Y.Kさんコメント
小学校の音楽の時間に配られた、団員募集のチラシ、私は4年生の時に東京滝野川少年少女合唱団に入団し、卒団するまでの8年間、本当にいろいろな経験をした。
緊張した演奏会、興奮と心臓の音、拍手、感激した母の涙。緊張のあまり腹痛をおこし、帰り道にトイレに駆け込むことも多かった。合唱祭での合同演奏の感動と、ペンライトの輝きは、今でも忘れられない。
練習に通うのも大変だった。帰り道、おサイフを落として困った時もあった。雪の日、なかなかバスが来ず、泣きたくなるくらい手足が痛かった日。一番出席日数が多かったとほめられたときは嬉しかった。
A.Kさんコメント~大濱のおばさまのこと~
大濱愛子先生は「お行儀のおばさん」として私たち団員のお行儀や健康状態を常に気づかってくれる滝野川のお母さん的存在の人です。たとえば演奏会や合宿などの時、必ず気分が悪くなる子がいます。でも大濱おばさんが持っている薬を飲むとたちまち元気になってしまいます。
また、お料理の達人でもあり、中でも「とろろこんぶのお吸い物」は忘れられないおいしさで、それから私の大好物になり、母にも作ってもらったのですが、あの味にはならないのです。
今はご馳走になる機会がなくなってしまったので、とろろこんぶのお吸い物が恋しく思う今日この頃です。
A.Sさんコメント~大濱先生のこと~
私が初めて大濱先生と会ったのは、今から約10年前、小学校4年生の時でした。入団テストで「春の小川」をみんなの前で歌い、緊張のあまり声が思うように出なくなった私に「あごをひいて、口をもっと縦にあけてごらん」とやさしい一言。その一言でとてもリラックスできた事、今でもよく覚えています。
練習のある日は必ず、いつも一番早く来て「おはよう」と一人一人に声をかけてくださいました。練習の始まる前や、終わった後には、演奏旅行へ行った話や、ほかの合唱団の話、もちろん音楽の話もですが、勉強になる楽しい話をして下さって、私は本当にいろいろな事を知りました。
そんな先生ですが、練習中は真剣でとっても厳しかったです。一人ずつ歌う時はちゃんと歌えるまで何度もみんなの前で歌いました。できないところはその場で戻って頭から…この練習のおかげで地震がなかったところも歌えるようになりました。その自信は今の生活の上でとても役立っていると思います。これからも変わらず”心のふるさと”として続けて下さい。
40周年記念のころの、演奏会の様子
第15回 全日本少年少女合唱祭 岡山大会
平成8年3月28・29日 岡山シンフォニーホール
フォトギャラリー
いろいろな事があった。
フト……立ち止まり、後ろを振り返る。
決して楽しい・嬉しいだけの合唱団生活ではなかったはず、厳しく・辛く・くやしい想いもあったはず……
なのに、今の私には清々しい想いだけが残る。
大濱先生 すばらしい仲間をありがとう…… (菱木明子)